Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

    “影も姿もB

 



          




 人の世界では明日明後日にも暦が新しいものになる。真冬の寒さも、時折降りそそぐ暖かい雨に追いやられるのか、少しずつ遠のきつつあるらしく、そして。

  「…蛭魔。」
  「ん?」

 生気が失われての、これも余波か。よくよく眠ったはずの翌日であれ、明るいうちでもたいそう眠いらしく。気がつけば うとうとと、葉柱に抱えられたまま、その懐ろで微睡んでいたりする。冬の陽射しの中、淡くけぶる金色の髪に白い頬。夢見るようなという形容が、これほどまでに相応しい存在を、葉柱はこれまでに見たことがない。
「………。」
 この事態に彼自身が気づいてから、まだほんの五日ほどしか経ってはいないというのに。もはや今にも消えんとしかかっていると判る。普通の人間である家人たちはおろか、感応力が強いはずのセナにも…とうとう見えなくなったらしく。
『まあ、明けない夜はないというし。』
『お館様、それって例えが微妙に違うような。』
 この俺に意見するとは、いい度胸をしてんじゃねぇかと。どっかで聞いたことがあるようなやり取りをしつつ、やっぱり手元にあったみかんを1つ。それでも随分と手加減して放れば、
『…………お館様。』
 食べるものを粗末にしちゃあ いけませんてば。先の時にはそうと言ったセナが、呆然とし、蛭魔の側もこれにはさすがに、言葉を失くして自分の手を見下ろす。確かに掬い上げたはずのミカンが、手を素通りして掴めなかったから…。
“………。”
 それをそうだと認めたくはないからか、そんな会話のあった晩から、此処へと寄りつこうとさえしない書生くんは、だが。進が伝信にて知らせて来るには、それからのずっとを泣いてばかりいるという。

  「……………眩しいなぁ。」

 今日も朝からなかなかの上天気だ。それへの感慨を呟く声の小ささに、心だけを泣かせて…顔では平静を保つ。もうもう袷の重みしかないその痩躯。それでも…潰さぬようにと、大切そうに膝の上、懐ろへと抱いていれば。
「…なあ。」
 その懐ろからの声がして。
「んん?」
 赤子でもあやすように静かな声を返してやれば、

  「潰していいから、もっと力入れろ。」
  「な…っ。」

 馬鹿なことを言い出すんじゃねぇと、言い返しかけて息を飲む。多い目の衣紋に埋もれるようになったまま、見上げて来ていたその顔が、自分のこの眸でももうほとんど見えなくなっていて。なのに、なんて………、

  ――― なんて綺麗な笑い方をする彼なのか。

 そこから遠く離れていても、御簾の向こうから広間を淡く明るく満たす真昼の陽光。それにさえ透けている淡い面影なのが、何とも言えず悲しくて。ずっと堪えていた、我慢していた何か。それの とうとう限界か、ぐうっと、葉柱の喉の奥が鳴った。そして、一気に弾けたものは、

  「…こんなっ、こんな馬鹿なことってあるかよっ!」

 どうして助けられない? こんな呪い、こんなくだらない怨嗟から。陰体の自分なればこそ、どうして嗅ぎ分けられないのだろうか。愛しい人、大切な人。そんな大事な存在が、何処の誰とも判らない身勝手野郎の理不尽な怨念のせいで、そいつの想いが成就しての結果、此処から消えてしまうだなんて。そんな愚痴を言っても何の解決にもならないからと、ずっとずっと黙っていたが。本音を言えば、他の誰よりもこの自分こそが一番に、認めたくなかったし、許せなかったことに他ならず。

  「…泣きながら怒ると息が出来んようになんぞ?」

 小さく笑った蛭魔の手が、伸ばされているのに…頬へと触れたその感触が判らない。そうだというのが向こうにも判るのだろう。手を上げたままで、ちょっぴり寂しげに微笑って、それから………。

  「…っ、行くなっ、蛭魔っっ!!」

 今にも腕の中へすべり落ちんとしていた、冬の襲
かさねの袷一式。それをそこへと封じたいように、腕の出来るだけで空間を作りながらも、ぎゅうぅっと。自分の肌目の中へ押し込むように抱き締めたが。袷の絹錦の感触はどんどん萎しぼんで細くなり、光となってほどけるように、あれよあれよと ただの布でしかなくなってゆくから、

  「蛭魔っっ!!」

 血を吐くように叫んだそのとき、


  「よしっっ!! そのままで動くな、お前っ!!!」
  「あ"?」


 もしかしたなら、涙ぐんでさえいたかもしれない。そんな激情の一喝とほぼ同時、外から無粋にも踏み込んで来た、一陣の突風のような気配があって。
「お前…。」
「いいからっ。そのままで居ねぇと、本当に二度とそいつとは逢えないぞっ。」
 叱り飛ばすように怒鳴られて、ついのこととて“はいっ”なんて。いいお返事までしたところ、そんな葉柱の懐ろから…その周辺を、鋭い眼差しで隈無く睨んでいた彼は。ややあって、そこからかすかにかすかに伸びてた何かに視線を留める。その長いものを拾い上げ、ぐっと掴んで見せたのは誰あろう、あの蛇の邪妖こと、阿含とかいってた男であり、
「お前にも見えてるだろう? おっと、ホントに動いちゃなんねぇ。その空間を消しちゃあなんねぇ。」
 葉柱の懐ろの、ついさっきまで蛭魔を抱いていた空間のこと。それを崩すなと言いたい彼であるらしく、

  「これこそが、こいつの魂に食い込んでやがった“邪恋の鎖”での。」

 あまりに か弱い念だけに、標的が生きてる間は正気の輝きや活力に負けて見えない。それを良いことに、咒をかけた存在の生気もろとも、呪いの淵へとぐんぐんと吸い続ける仕事を続けやがるのだがな、

  「この瞬間だけは見えるのさ、俺らのような存在にだけ。」

 術者の側の執念の方が勝ったご褒美のように、相手が生命の灯火を掻き消して。このまま地獄へ揃って旅立ちましょうよと、術者の側も現世へと別れを告げるその瞬間。まるで執念が灯す燈明の、最後の火花のようなものなのか、やっと正体を現す代物であり。そこを逃すともう後はなく、
“間に合った、か。”
 もしかしたら。蛭魔自身はこういうことだと気がついていたのかも。ただ、だとすれば自分ではどうしようもないことでもあって。だとしても、こやつが見逃す筈はないから心配は要らんなんて思っていたとしたならば、
“ちょっと危なかったぞ、いやホントに…。”
 この野郎め、す〜っかりと混乱して取り乱してやがったからなと。何とも言えない苦笑をしてから、
「じゃあ切るからな。」
 そうと告げれば。まだどこか不安そうな顔でいる蜥蜴一門の若き総帥殿、
「…切る?」
 意味が判らんとキョトンとしており、
「これを切れば、呪いは“反呪”と化して相手へ真っ向から襲い掛かる。」
 まあ…呪いの種類からして死なば諸共と死にたがってた奴な訳だから、あんまり胸のすく仕返しとは言えないような気もするが。そこんところをも苦笑で流し、
「ほれ、ご帰還だ。」
 大振りの手の引きにてぶっちりと、それは簡単に千切られた鎖が脆くも蒸散してゆき、そして…


   「………痛いってばよ。」
   「ひ…蛭魔っっ?」


 抱きすぎだ痛い、手を緩めろと。耳の先が心なしか赤いまま、そっぽを向いて文句を言うのへ…葉柱の方は耳を貸さぬまま、もっともっと抱き締めた。
「蛭魔〜〜〜っ!」
 良かった良かったと、手放しの勢いで…でも手は放さずに。人目も何もはばからず、おんおんと泣きながらしがみついて来るものだから。思い切り蹴り飛ばされた彼だったのは言うまでもなかったが。葉柱の側も今回ばかりはそんな程度で引いたりはしなくて。


  「だ〜〜〜! 辞めろというのに、洟水が…洟水が顔につくっ。
   こらっ、聞いてんのかっっ! こんの蜥蜴野郎が〜っっ!////////










            ◇




 いよいよ明日にも“追儺の儀”が執り行われるとあって。宮中・内裏はばたばたと忙しいらしいのだが、やはり手伝いには出向かずにいた、相変わらずに罰当たりな神祗官補佐殿。それでも当日の儀式には顔を出さねばならぬのでと、神祗官様との式次第への打ち合わせをしに、武者小路家まで出向いたその帰り道。
「…お。」
 不意に牛車が停まったので、何事だろかと身を起こし、扇の先にて垂れを上げれば。それを引いていた牛はいるが、牛飼いや雑仕、舎人の姿がどこにもない。まだ今ひとつ弱々しい冬の陽射しに、その金の髪をやわらかく温めながら、もう少しほど身を乗り出して周囲を見回せば。片やには漆喰の白い塀が延々と続く、玉砂利を敷いた道の端、その塀と平行になるよう植えられた、常緑の松の並木の一本に凭れて立つ人影に気がついた。他には人影が全くなくて、これもこの彼の発揮した結界術の為せる技かも。
「よお。あれから調子はどうだね。」
「まあまあだな。」
 不遜にさえ見えるほどゆったりとした態度で歩み寄って来る相手に合わせ、こっちも気安い言葉を返す。特にねぎらうとか礼を言うとかするつもりはなかったから、こちらからわざわざ逢いに出向くなんて、思ってもいず。ただ、尽力をしてもらったのだという事実は、きちんと把握していた蛭魔だったから。姿を見かけたのなら、まま、一応は挨拶の一つでもしておこうかななんて。彼にしては随分と殊勝なことを思った術師だったらしくって。
「それにしても。護衛なしの遠出なんて、お前様にはあり得ねぇ行動じゃね?」
 フツーの人間しか連れてないなんてな。
「あんな騒ぎのすぐ後だってのに、あの蜥蜴野郎がよくもまあ“ついてゆく”と言わなかったもんだ。」
 そうまで明け透けな言い回しをされても、白々と澄ました顔でいるその上へ、
「眞の名をな、呼べば光の早さで駆けつけると、いつも言うとるが、あれは嘘かと言ってやっただけだ。」
 あっさり言って返した金髪痩躯の青年術師であり。彼からのそんな言いようへこそ、

  “…報われてねぇ奴。”

 ついつい同情半分の苦笑をこぼした、縄頭の蛇の邪妖、阿含殿だったりし。
「ま、そんな遠出のついででも、わざわざ寄ってくれたんは素直に嬉しいよ。」
「素直に。」
 繰り返すトコかよ、それ。なんの、思ったのは俺だけじゃあないと思うぜ、などと。やっぱりなかなかに味のあるやり取りをしていた二人であったものの、この道程を舎人たちへとわざわざ示したのは、他でもない蛭魔本人であり。つまりは…彼に逢えればと思っての寄り道には違いない。
「長居をする気はないから安心しな。つか、まだ冬眠の最中だったろに、どういう偶然からこんな半端な時期に起きてやがったんだ?」
 暦にある『啓蟄』は“春を感じて虫が起きる頃合い”のことだから、蛇である彼には微妙に条件づけとか違うのだろうけど。それにしたって、まだ春も浅すぎるこんな時期、何をとち狂って早起きした彼なのかという点が、そういえばと引っ掛かっていた蛭魔だったらしいのだが、

  「ああそれな。彼奴
あやつが叩き起こしてくれた。」
  「………彼奴?」

 片方だけ口角を吊り上げ、ふふんと笑った彼であり、それで誰のことなのかもあっさり割れた。
「そか。あんのお人好しのトカゲがか。」
 その実体が薄まってゆくばかりの自分の、その衰えようの進行速度に合わせているかのように。そりゃあ やつれて、日に日に擦り切れつつあった葉柱。こっそりとお気に入りだった つややかな黒髪をぼさぼさに振り乱し、ただでさえ恐持てな顔に更なる険を増し。棘々しくも苛立ちながら、それでも…この自分の前でだけは何とか、苛立ちや怒りなどというものも極力出さず、心配とか焦燥とかいう素振りを抑えていたらしき、妖蟲の一派、蜥蜴の一族の総帥。自分の傍にいない僅かな間合いがあればあったで、なりふり構わず奔走していた彼だったらしく。そんな真摯な姿に気圧されて、しまいには揶揄
からかいの言葉さえ浮かばなかった自分がちょっと嫌だったなと思う傍ら、
“いつぞや さんざん、あの蛇には近寄るなと、言っていたのは誰だったやら。”
 それなのに、自分は頼りにしたとはな。いくら切羽詰まってたって、それはちょっと違反行為じゃね? そんなこんなに気を取られている蛭魔へと、
「ま、何とも返事はしなかったからの。こっちの探査の途中経過すら知らなんだだろうから、それであん時は呆気に取られて固まってやがったんだろうが。」
 そでしたよねぇ。何であなたが乱入して来たの? って顔でいた葉柱さんでしたもの。返事がなかったから、スルーされたと思ってたんでしょうね。
“…あんた時々、この話の中でもカタカナ用語を使いまくっとりゃせんか?”
 あっはっはっはっ。こないだも“スタミナ”ってのはこの時代にあった言葉でしょうかと言われましただ。
(「だ〜か〜ら〜」)それはともかく、
「あいつに言っとけ。」
「…はぁ?」
 いきなり…少々口調が変わったのへと、怪訝そうな顔を向けた蛭魔へ、

  「自分を軽んじる物言いをあらためろとだ。」

 ………おやおや。相手が誰であれ、そんな忠告をこの彼が口にするとは余程のことだと判るから、
「お前がそうまで呆れ返れるようなことを、あいつが言ったってか?」
 牛車に乗ったままだから…じゃなくとも改めはしなかろう、上からの見下ろし視線で問い返せば、まあ、こいつのそういう態度は今更だしと、こちらさんもそこは見逃してやったまま、

  「何だってすると言い出しやがってよ。」
  「あ"?」

 あの蜥蜴の総帥様が、あの後すぐにも此処にまた来たと彼は言い、やはりこんな風に現れてやった阿含に向かって、
「その辺りの地べたへ座ると、いきなり土下座をしやがってから。今はお前との誓約が優先されっからその後に。自分で出来ることなら何でもすると言い出しおってな。」
「それって…。」
 蛭魔に皆まで言わせず…にんまり笑い、
「俺があいつに何かをわざわざやってもらおうと、思うと思うかい?」
 そんなもの有りゃしなかろうと、蛭魔にも判る。蛇と蜥蜴という、種族的な力関係というか“相性”の問題のみならず。邪妖としての力も、恐らくはこっちの彼の方が格段に上だろうし。手助けとか頼るという形で、あの総帥殿がこの彼の力になれることって言ったら…。
「せいぜい、腹の足しになってもらう事くらいだが。あいにくと俺は美食家なんで。」
 何が嬉しくてああまでムサい男に齧りつかにゃならんと、ちょぉっと反応に困るよな言い回しにしては結構朗らかに苦笑をし、
「それでは気が済まん、嫌いな奴に貸しを作ったままというのもなんだか落ち着けぬしと、面と向かって結構遠慮のない言いようをしおったからの。」
 蛭魔の生命の最後の綱を引き留めてくれたこと、どうあっても礼をしたくて。阿含が再び寝入る前にと必死で駆け参じたのだろうその頭に、どこの茂みでくっつけたのか椿の花びらを載せておった彼だったので、
「それをくれれば、チャラにしてやると。」
 お前は知らぬかもしれないが、これはそりゃあ珍しい椿での、だからこれをくれれば良いさと言いくるめて追い返したと、阿含はくつくつ笑って見せる。
「…椿。」
「無論、そんな風流を俺が知っていようものか。」
 口から出まかせの嘘だがな。そうと言いつつ、何だか…この自分までもが小馬鹿にされているような気分になるほど、まだ執拗に笑うところを見ると。あの純朴で愚鈍な男は頭から信じたらしきことまでが伺えて。何なら株ごと運んで来るがと言い出しそうだったので、
「春先に一番最初に咲いたものに意味があると誤魔化したがの。」
 だからもういいのだと、くつくつと笑った彼もまた、結構 人のいい蛇である。

  “つか…。”

 あの葉柱がそうさせてしまうのやもしれないなと、蛭魔までもが苦笑をこぼした。馬鹿がつくほど愚鈍と並ぶほど、純朴というか一途というか。蛭魔が何とか生還したあの時だって、その後でセナがやっぱり泣きながらむしゃぶりついてきたのと変わらぬくらいに、いつまでもいつまでも、人目も何も憚らず、おいおいおと泣きじゃくっていたほどで。狡猾がつくほどに利口な自分には、恥ずかしくて真似さえ出来ないことだけれど。だから…放っておけず、何の得にもならぬのに、ついつい助けてやりたくもなる不思議な存在。

  「ほんじゃ、機会があったら またな。」

 あっさりと。手を挙げた阿含が姿を消したらば、どこからともなく、蛭魔の連れていた家人たちがぞろぞろと現れた。彼が消えたことで、他の人間を廃していた結界も消されたのだろう。周囲をキョロキョロと見回して、何があったのかも判っていないらしき彼らを、説明も取り繕いも面倒だったからと、特に叱ることもないままに呼び寄せて。そのまま、まるで何事もなかったかのように、家までの道を再び歩んだ彼らだったものの、

  「…停めろ。」

 途中の道沿い、少し木立の奥に入ったところに、自生だろう椿が群生しているのが見えたので。それと目星をつけた術師が、雑仕に言って一株掘らせたのは言うまでもなく。

  “どんな顔をしやがるかの…♪”

 来ればすぐにも視野に入るだろう、広間の濡れ縁に間近い辺りに植えてやろうぞ。ああ、でも、あやつのことだから、どんな椿だったかまでは覚えておらぬかの。それならそれで、気がつくまでのずっと、そのまま からこうてやっても良いかと、楽しげに企みを巡らす彼を乗せた牛車の屋根の少し上。やっとの春の到来を知ってか、微かに膨らみかけてた梅の蕾が幾つか、梢の先で揺れており。ほどほどにしておきなさいよ…と言いたげに、手を振っているようにも見えたそうな。







  〜Fine〜  06.1.29.〜1.31.

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  *『最終兵器彼女』というより『飛ぶ夢をしばらく見ない』でしたかね。
   微妙に“死にネタ”系になってしまったので、
   そういうお話は痛いから嫌いという方には、ただただ謝るしかありません。
   いくら結果的に無事だったとはいえ、本当に申し訳ありませんでした。
   本館の方でも、キリリクへの注意書きで
   『そういうお話は書けませんから』と大威張りで豪語している身なのに、
   なのにこれってのは、やっぱりズルかったですよね。

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